明るく楽しい職場を!異色の大型機器メーカー
関ケ原古戦場跡に本社を置く関ケ原製作所は、異色の企業だ。もうけることが会社の第一義ではなく、働く者たちの明るく楽しい生活空間、すなわち“人間ひろば”づくりをそのミッションとしている。21世紀型企業の姿がそこにある。
--本社工場は緑の芝生に石の彫刻が点在し、清塚ミュージアムなどいくつかの美術館があり、美しい工場公園になっています。油圧機器やトンネル機械など大型機器をつくる工場とは思えません
「1980年代の経営危機がきっかけでした。86年、87年と2年連続で赤字になり、会社は沈鬱な空気に包まれた。そのとき社長だった私は従業員の中に飛び込んで、皆の意見を聞いた。返ってきたのが『もうけは二の次でいい。楽しい会社にしてほしい』という声でした。創業者である私の父親は『会社というのは働く人たち皆のもの』との考えの持ち主だったし、私もその考えに賛成だったので、CI(コーポレートアイデンティティー)を導入し、従業員と一緒に楽しい会社づくり、新しい会社づくりを行ったわけです」
--それが工場の各所に掲げられている理念や標語に表れています
「『セキガハラ・イズ・アワーカンパニー』『限りなく人間ひろばを求めて』といった言葉です。会社というのはそこで働く人、皆のものなんだ。そして人間のひろばなんだという概念を作っていったわけです。それ以来、20年にわたってその理念に沿った会社づくり、ひろば作りを行ってきて現在の姿になってきた」
--会社は“人間のひろば”とはユニークな考え方ですね
「会社というのはその人にとっては生活空間であり、人生空間、歴史空間でもあるわけですが、セキガハラ・イズ・アワーカンパニーといった理念を追い求めていくと、人間ひろば、人間村といった表現が出てきます。従ってそこは生きがいややりがい、自己実現の場でなければならなくなってくる。生活空間であるためには仕事の場が必要になってくる。自己実現をはかっていくためには学びの場が必要です。私が会社全体をキャンパスと呼ぶ理由はそこにあるわけです。キャンパスであるためにはそれにふさわしい環境づくりが必要です」
--関ケ原経営をミッション経営、NPO経営といっているようですが
「会社は社員の自己実現の場であり、社会貢献の場という考えで、利益追求をその目的としていないということです。『限りなく人間ひろばを求めて』がわれわれの理念ですから。しかし自己実現を求めていくには、技術や能力を高めていかなければならない。その努力が需要の拡大、新市場の開拓につながっているともいえます」
--2007年に130億円台だった売上高は、いまや200億円台に。業績好調のようですね
「主要取引先であるコマツ関係の売上高が伸びたことが大きな要因です。当社は大型の一品物製品を得意としていますが、今後ともキラリと光る『小さな大企業』をスローガンに、利益ではなく人間ひろばづくりのため、世の中の役に立つために仕事をしていく。存在価値があれば必ず世の中は事業が続くように、仕事を与えてくれるものです」
--2009年に「セキガハラ人間村財団」を設立し、各界の有識者を理事に迎えられました。これは何を狙いとしたものですか
「人間村カンパニーという会社のあるべき姿に経営執行部の価値観を照らし合わせ、会社の方向性や理念をチェックする役割といってもいいかもしれない。グローバル化の流れの中で、どうしても経営執行体制の価値観は変化していく。それだけに会社が理念と違った方向へ進まないようチェックしたり、あるいは新たな経営執行部を選ぶ役割を担う。それが財団の役割ともいえます」 (宮本惇夫)
【会社メモ】1946年、矢橋五郎が関ヶ原町に同社を設立し、鉄道用の軌道用機器の生産を始めたのが始まり。その後、船舶用クレーン、ボートダビット、59年にはコマツ向け油圧機器の生産を開始。87年には精密石材製品分野にも進出。88年企業革新活動「ニューセキガハラ運動」を始め、これが今日の「限りなく人間ひろばを求めて」「セキガハラ・イズ・アワーカンパニー」の理念につながっていく。2006年中小企業センター・グッドカンパニー賞優秀企業賞受賞。資本金2億4700万円、売上高207億円、社員数432人(いずれも11年5月末現在)。
■やばし・しょうざぶろう 1939年7月13日生まれ。72歳。65年早稲田大学卒業後、関ケ原石材入社。68年関ケ原製作所に移り、78年社長就任。2007年から現職。矢橋家は岐阜県赤坂の旧家で、祖父・矢橋亮吉は赤坂地方から産出される大理石をいち早く建築材として活用して成功。大理石王の異名を取った。父親の五郎はその亮吉の四男。
【華麗なる一族】矢橋家は旧中仙道の宿場町、赤坂の名家で知られる。今も残る矢橋本家は現在15代目、地元では矢橋家が育んできた牡丹園が有名。
【楠堂】昭三郎の祖父で大理石王と呼ばれた亮吉は育英事業に財を投じた篤志家。岐阜市内に大きな家を購入し、「楠堂」と名付けて、志をもった若者を住まわせ育てた。多いときは17~18人の書生が寝起きしていたという。
「毎朝、幼稚園に行くとき、従妹と一緒に祖父の家へ寄り、朝の挨拶をしてから通ったものです。祖父は毎朝半熟卵を食べていて、『さあ、こっちへおいで』と僕と従妹に白身の部分を分けてくれた。あのおいしさはいまでも忘れられない」
【家族】数年前に亡くなられた夫人との間に3人の娘。現在すべて嫁いでいる。
【音楽と虫の音】「音楽はクラシックから演歌まで何でも聴きます。いろいろなイメージがわいてきて楽しい。秋の虫の音なども大好き。よく家の前の古戦場を散策し、虫の音に耳を傾けています」
【読書】「若いときはトーマス・マンなど気に入った作家の本を10回ぐらい繰り返し読んだことがあるが、今は読むことはほとんどありません。読んでもあまりわからないのがたくさんある。知識を得るのも本から得るのではなく、自然の中から得ることが多い。自然の中に身を置いていると、会社づくりのイメージが、見えたり聞こえたりしてくる」
【テレビ】「よく見るのはニュースにドキュメントです。ドキュメントは面白い。本当の知識を得るのはドキュメントじゃないかな。ドラマなど見る機会は少ないが、いつだったか向田邦子のドラマを見た。彼女のものの見方、価値観、感じ方などをくみ取ることができ、普通の作家とは違う発見などがあり面白く勉強になった」
【健康法】「月に2回ほどのゴルフですね。無理をしない程度にクラブを振り回す。これが健康法かな」
2011年11月08日 ZAKZAK
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